幸福の考え方

マズローの5段階の欲求は有名だが、最終段階の「自己実現欲求」とは別に、「自己超越欲求」というものがある。
自分の事より他人に貢献することが幸せとということなのだが、この「自己超越欲求」に目覚めると、他の5段階の欲求(生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現の欲求)すべてが、どうでもよくなり超越してしまうように思う。
親が、子に自分より優先して食べ物をあげるように、自分より他人に貢献することに至高の喜びと感じる。
貢献というと、ボランティアとかで、お金が出なくても他の人の役に立ちたいという立派な気持ちで尊ばれるものだと思われるが、それは結局自己満足の世界なのだと思う。
求められてもいないのに、人に食事を奢るのと五十歩百歩で、他人に貢献というものはそれが他人がどう思うかはその自己満足度に影響するだけで、それが社会的欲求、承認の欲求にも関係する。
5段階の欲求の最後に行きつくところが、「自己実現欲求」なのだが、普通の人はお金持ちになりたいとか、トップセールスマンになりたいとかそれで自己満足を得るのだろうが、目標を達成してしまった人は、他人に感謝されることに生き甲斐を感じるようになる。
おじちゃんが孫におもちゃを買ってあげるのも、孫の笑顔がみたいから。ボランティアの人も、人に感謝されると当然嬉しいが、そのうち感謝されようがされまいが、社会貢献をしているという自分の信念に基づいて行動することに満足するようになる。

これは、ただその人のコンフォートゾーンが変わっていっているだけではないのか?
人に食事を奢る場合、多くの人は快く思わない。それを気づいているのに、自分が払わないと、気分がよくない人もいる。その人は、自分を高くみせようとしているのかもしれないが、他人からどう見られようが、自分が奢らないとコンフォートゾーンじゃないようになってしまっている。
こうしたことの進化系が、「自己超越欲求」なのかもしれないが、こうなると普通の常識が通用しない。なぜなら、ここまでくると人が常識と思っていた論理思考が通じなくなる。ある意味達人と呼べるかもしれないが、誰もがうらやむような一般人が好む、物欲や拝金主義からはかけ離れた行動ができる。社会貢献に時間を費やす人は、すごいと尊敬しても、自分では無理だと誰もが思う。それは、コンフォートゾーンがその人とは違うから、多くの人は望まない。
但し、人の優劣がその行動で決まるわけではなく、社会貢献のボランティアで満足感が得られる人は、学校で洗脳され手身に着いた常識からは外れたコンフォートゾーンになっているだけで、お金や地位や名誉を得ることより、社会貢献をしていることが快感になるのだろう。
これは、アイドルオタクが、自分のお小遣いを削ってでも、大金持ちの芸能人にプレゼントを買うことに似ている気がする。

こうした考えた方をしていると。結局は自分がなにをしているときに満足を得られているかというのが重要なのであろう。
じぶんの機嫌をとるために、お金を使う人も多いが、お金じゃなく、社会貢献をすることで満足を得られるようになった人は楽でいいと思う。結局、歳を重ねるごとに、奢ってもらうより奢りたくなるのと同じで、年齢が増すほど自治体やボランティア参加などに目が行くのは、やっぱり、必死になって奴隷のように働いて税金を納めながら高収入を目指しているより、社会貢献の行動をしている方が楽だからみんなあこがれているのかもしれない。

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